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In Memoriam: Garfield’s Funeral March / John Philip Sousa (1881)

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こんにちは!あぽ(@apocryphally1)です。POPSの歴史をたどっていくMuseum of POP Musicのコーナーへようこそ!録音技術が確立した19世紀末ころからの音楽をコレクションしています。100年ほど前の大衆音楽からJazzやBluesが発展していくポピュラー音楽の黎明期を発掘してきますよ。

*掲載している曲の一部には差別を助長するようなタイトルの曲があります。歴史を辿る面では避けては通れないデリケートな問題ですが、当時のものをそのまま記載しています。当然ながら本ブログには差別を助長するような意図は全くないという点、ご理解いただければ幸いです。

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In Memoriam: Garfield’s Funeral March / John Philip Sousa

1881年7月2日、ワシントンDCのボルティモアポトマック鉄道駅で、アメリカ合衆国大統領のJames Garfieldが、Charles J. Guiteauに近距離から撃たれました。その79日後、療養していたニュージャージー州エルベロンで亡くなりました。当時アメリカ史上3番目に若かった大統領の突然の死の発表は、国民に大きな驚きをもたらしました。

Sousaがベッドに横になっている時に新聞売りの少年が大統領が亡くなったというニュースを叫んでいるのが耳に入ってきました。大統領は2ヶ月前の銃創から十分に回復していると報道されていたので、予想外のニュースでした。ショックを受けた彼はベッドを離れ、一晩中ワシントン市内を歩き続けました。翌朝までに彼は「In Memoriam: Garfield’s Funeral March」のメロディーを作曲し、帰宅して紙に書き起こしました。

大統領の遺体を一般公開するためにワシントンに到着したとき、その後クリーブランドに埋葬されるときにこの葬送曲が海兵隊軍楽隊によって演奏されました。その半世紀後Sousa自身の葬儀以外で、この葬送曲を海兵隊軍楽隊が演奏することはほとんどありませんでした。


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James Garfield(1831年11月19日 – 1881年9月19日)

James Arthur Garfieldは第20代アメリカ合衆国大統領でしたが、在任期間は6ヵ月と15日(1881年3月4日 – 1881年9月19日)という短期間で終わってしまいました。暗殺事件について興味があるかたは↓のリンクを読んでみてくださいね。

ガーフィールド大統領暗殺事件

大半の歴史家や医学の専門家は、ガーフィールドを治療した医師たちがもっと有能であったら、ガーフィールドは生き残れたと信じている。何人かの医師は消毒していない指を傷口に入れて弾丸を探り、ある医師などはそうしている時にガーフィールドの肝臓に穴を開けた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

当時の医師の残念な治療はなかなか壮絶ですね。

この時に体内の弾を見つけようと発明家のベル(Alexander Graham Bell)が専用の金属探知機を発明して実験しましたが、ベットの枠の金属に反応してしまって弾を見つけることができなかったそうです。

In Memoriam: Garfield’s Funeral Marchの楽曲プロフィール

  • Title : In Memoriam: Garfield’s Funeral March
  • Date : 1881年9月
  • Composer : John Philip Sousa
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